SUPER視聴率対策 流星裏話 Vol.1
なぜ、流星を作ったか? その答えは 視聴率対策
当時、私たちはアジアで大人気の台湾のバラエティ番組を制作していました。
台湾TTV局、CTS局で1994年9月から約9年間放送した番組 『超級星期天 SUPER SUNDAY』シリーズ(担当は初回から6年間 後半期は番組タイトル変更)
ちなみに、番組MCは 『流星花園~花より男子~』 オープニング楽曲「情非得已」を歌うハーレム・ユー (ドラマ劇中でも最終話にゲスト出演。写真の左から二番目)
実力派ミュージシャンのもうひとつの顔 それは大人気バラエティのアイコン
実におもろい 愉快な哈林 ハーリン
この作品への参加が、ボヘミアンにとって初台湾。当時、担当していた国内バラエティ・番組コーナーの台湾版制作として1994年9月17日の第一回放送から立ち会いました。
初回ゲスト陣として日本からは福山雅治、後半には若かりし頃の金城武がユニットで歌っている時代でした。また、この制作スタッフとして小天がアルバイトしていたと聞いています。
暖かく、おもしろく、家族一家で楽しめるこの番組は、台湾で大ヒット。今とは比較できませんが、当時台湾平均12%台を記録していました。(メディア・ビッグバン後の台湾。台北居住世帯のほぼ9割が80チャンネル規模でテレビを見ている環境を考えると、全世帯平均12%はとっても高い数字です)
しばらくすると、香港、大陸、シンガポール、タイ、北米など多くの地域でも愛され、台湾発のアジア・エンタメをリードするお化け長寿バラエティへと成長していきました。そして、数々の受賞とともに名声を得ました。
『戦神』 『薔薇之恋』などドラマ紹介で、【台湾版エミー賞】受賞ドラマといいますが、2000年以前のバラエティ部門では 『超級星期天 SUPER SUNDAY』 が独占してました。
いろんなロケもやりました。『貧窮貴公子』で隆子を演じた阿雅と富士山で遭難しかかったり、AISAも参加したオーディション番組をやったり・・・
この現場 隣を振り向くと、当時ライン・プロデューサーだった柴智屏や馮家瑞がいました。ヒットの陰には優秀な現場スタッフがいます。
一方、6年もやると、さすがにバラエティの視聴率は低迷してきます。
こんな折、当時『超級星期天 SUPER SUNDAY』シリーズをOA中の台湾地上波局 CTS(華視)の編成上、新たな番組展開が必要になってきました。
「じゃ、日本のコミックスを原作としたドラマを制作しよう!」
バラエティで一定の達成感があった制作スタッフにとって、自然に物事は進みました。
リサーチ後、台湾ドラマの原作案として3作品のコミックスをリスト化し、国内出版社のもとに向かいました。2000年夏のころです。
コメント
読んでいてとても興味深いですね。
リッツのイベではいつもボヘミアンさんを見かけますが、いつも優しい感じで丁寧な感じなのでそんなに偉い人とは思いませんでした~
続きもっともっと知りたいです。
楽しみにしてます。
投稿者: 娃娃 | 2008年5月21日 20:55
この番組、昔CPOPでやってましたよね?
ボヘミアンさんはこんな昔から関わっておられたんですね~
で、今の台湾ドラマを支えている柴智屏さんは有名だけど馮家瑞さんも関わっていたとは!
裏話とか製作秘話大好きなので、流星裏話続きも楽しみにしています。
投稿者: Ling | 2008年5月21日 15:53
はじめまして☆C-POPBlogいつも楽しく読ませてもらってます♪
台湾ドラマが日本のコミックスを原作にしたものがなぜ多いのか、すごく気になってました(≧艸≦)
裏にはこんな事情があったんですね。
謎が解けた感じで、すっきりしました(笑)
投稿者: makarin | 2008年5月21日 15:48