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2010年1月 1日

新年快楽!2010年 新春おめでとうございます

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2008年6月10日

ナイナイづくし 流星裏話 Vol.3

台湾での初放送から7年、国内でも初OAから5年が経過した台湾ドラマ『流星花園~花より男子~』 その制作舞台裏を昔話
右コラムの「カテゴリー」を【・Meteor Story】に選んで過去のブログをご覧ください。


ここまでは、とんとん拍子。 そして、これからが試練の連続。
文字通り、ナイナイづくしで始まった流星

まず、【金がない】

地上波局の新規看板枠ではあるが、その制作費は日本と比較した場合、一般的な物価差以上のものがあった
「うそー この金額で・・・」 これが最初の素直な印象。実際、他の番組の方に局として力が入っていた。

でも、今思うと、
充分な金なんて、無くても大丈夫。別に豪華なセットやコスチュームを見せることが目的ではない。金は無くても心は錦。作り手の気持ちが一番大切

一方、潤沢な予算の中で音声マンの技術力アップなどサウンド全般の改善は台湾ドラマに必要だと思う。これは多くの方言を話す中国語視聴者向けに、全編中国語字幕付きで放送していることにも起因している。セリフが聞き取れなくても、字幕で伝えられるため、サウンド全般に対する捉え方が低くなってしまう。結果として音響スタッフの労働環境が金銭的にもプライド的にも向上しないため、優秀な人材が育たない悪循環が起きていると思う。過去、日本の音響スタッフを撮影現場に立ち会ってもらい、そのノウハウを現地スタッフに伝授しようと試みたことがあったが、一週間後、その現地スタッフは現場に姿を見せなくなったこともあった。

充分な【経験がない】

バラエティ内でのミニドラマや短編ドラマなど制作してきたが、54分放送枠で20話以上の長編製作は初めて。

その結果、既成概念がなかったことが逆に功を奏し、自由な発想で、新しい世界が広がることになる。台湾視聴者だけでなく、バラエティの時と同じように汎アジアでの市場を意識した (又は、せざるを得なかった)

【時間がない】

いったん、決まるとゆっくりしてはいられない放送開始日。その後、スリルを味うことに

2008年6月 3日

原作&司 決定! 流星裏話 Vol.2 

初めて暴龍に会ったのは、2000年冬のこと

ドラマ制作のために新たに会社を興し、当初のプロダクションの近くに借りた新オフィス。どちらからと言うと、新しいとは真逆なイメージで、細長い部屋にスタッフがひしめき合っていた。とんとん拍子で物事が進んでいくため、取り急ぎの制作室のようになっていた。

部屋の一番奥に、番組Pとなった柴智屏が入口を見据えるレイアウト

今日はいつもより人が多いなと奥をみると、柴Pの机から頭が?見える。近くにいくと、とてもさわやかな男子がいた。彼は柴Pの椅子の横で座って話をしてたところだった。紹介を受け、彼が暴龍だと知る

既に彼の出演ドラマでの演技をみていた柴Pは、花男の場合は司のキャスティングに決めていた。

一方、日本では、出版社三社との交渉が始まっていた。過去事例がない新しいフォーマットであったため、時間を要しながらも、ひとつの雛形ができていった。

そして、記念すべき第一回目の制作ドラマは、神尾葉子先生の「花より男子」原作となる。今を思うと、三作品の中で、初めてのドラマが「花男」であったことは、ひとつの運命だったと思う。これであの4人が始まったし、今の私たちがある

とても有り難い貴重な機会を得ることができ、スタッフ一同大喜びした。

2008年5月21日

SUPER視聴率対策 流星裏話 Vol.1

なぜ、流星を作ったか? その答えは 視聴率対策

当時、私たちはアジアで大人気の台湾のバラエティ番組を制作していました。
台湾TTV局、CTS局で1994年9月から約9年間放送した番組 『超級星期天 SUPER SUNDAY』シリーズ(担当は初回から6年間 後半期は番組タイトル変更)

ちなみに、番組MCは 『流星花園~花より男子~』 オープニング楽曲「情非得已」を歌うハーレム・ユー (ドラマ劇中でも最終話にゲスト出演。写真の左から二番目)
実力派ミュージシャンのもうひとつの顔 それは大人気バラエティのアイコン 
実におもろい 愉快な哈林 ハーリン 

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この作品への参加が、ボヘミアンにとって初台湾。当時、担当していた国内バラエティ・番組コーナーの台湾版制作として1994年9月17日の第一回放送から立ち会いました。

初回ゲスト陣として日本からは福山雅治、後半には若かりし頃の金城武がユニットで歌っている時代でした。また、この制作スタッフとして小天がアルバイトしていたと聞いています。

暖かく、おもしろく、家族一家で楽しめるこの番組は、台湾で大ヒット。今とは比較できませんが、当時台湾平均12%台を記録していました。(メディア・ビッグバン後の台湾。台北居住世帯のほぼ9割が80チャンネル規模でテレビを見ている環境を考えると、全世帯平均12%はとっても高い数字です) 

しばらくすると、香港、大陸、シンガポール、タイ、北米など多くの地域でも愛され、台湾発のアジア・エンタメをリードするお化け長寿バラエティへと成長していきました。そして、数々の受賞とともに名声を得ました。

『戦神』 『薔薇之恋』などドラマ紹介で、【台湾版エミー賞】受賞ドラマといいますが、2000年以前のバラエティ部門では 『超級星期天 SUPER SUNDAY』 が独占してました。

いろんなロケもやりました。『貧窮貴公子』で隆子を演じた阿雅と富士山で遭難しかかったり、AISAも参加したオーディション番組をやったり・・・

この現場 隣を振り向くと、当時ライン・プロデューサーだった柴智屏馮家瑞がいました。ヒットの陰には優秀な現場スタッフがいます。

一方、6年もやると、さすがにバラエティの視聴率は低迷してきます。

こんな折、当時『超級星期天 SUPER SUNDAY』シリーズをOA中の台湾地上波局 CTS(華視)の編成上、新たな番組展開が必要になってきました。

「じゃ、日本のコミックスを原作としたドラマを制作しよう!」
バラエティで一定の達成感があった制作スタッフにとって、自然に物事は進みました。

リサーチ後、台湾ドラマの原作案として3作品のコミックスをリスト化し、国内出版社のもとに向かいました。2000年夏のころです。

2008年5月16日

流星 昔話を始めます

コミックリズ作品をお楽しみ頂き誠に有難うございます。

今年10月に『流星花園~花より男子~』のキャスト F4(JVKV)が、武道館と大阪城でライブを開きます。先行のチケットのご案内が始まっていますが、この会場が多くの笑顔で満たされることを願っています。

流星花園も日本での初放送から早5年
折角のブログですので、シリーズで掘り下げていきたいと思います。

最初のお題は:
 なぜ、流星花園が生まれたか?
 どのようにキャストF4が生まれ、育っていったか?

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集英社マーガレット編集部 関係者のご協力により2000年末より制作開始し、翌年から台湾CTS局で放送開始した『流星花園』
もう昔話となった時期ですので、これから順次、その制作の舞台裏を【C-POP Blog】でご紹介していきたいと思います。

ボヘミアン

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